国道461号線を小道に入ると扇の看板が見えてきました。
道の駅那須与一の郷

那須与一って船の上の扇を弓で射った人じゃなかったけ!
源頼朝に仕えていた武将。
屋島の戦いで平氏の舟に掲げられた扇の的を弓矢で射った話が有名
那須与一の銅像

扇を射った時の場面でしょうね。
馬に乗って海に入ったとされていますので、土台は波になっています。
ちょうど扇を狙っているところかもしれません。
ん?もしかして道の駅の看板の上の扇を狙ってる?

与一の身体が扇の方面を向いてるんですよね。
何より看板まで結構距離がある気がする。
これ、銅像から道の駅の看板の上の扇まで70mぐらい距離があったら激アツですね。
扇までの距離は7段(大体72m)と言われているよ
営業時間 | 9:00〜17:00 |
---|---|
休館日 | 月曜日(12月〜3月中旬まで) |
レストラン | 11:00〜14:00 |
駐車場 | 大型12台、一般283台、身障者用11台 |
トイレ | 24時間可能かは不明 |
ホームページ | https://www.nasuno-yoichi.jp |
竹のギャラリー

竹工芸が展示してあるようです。
竹を編んで作る伝統工芸。
国指定重要無形文化財。
なんで竹なんだろう?
調べたところ、この道の駅のある大田原市は竹工芸作家が集まっている珍しい地域のようですね。
竹林も多いようで、竹工芸品を作るのに適している土地なんですね。
今回は時間がなく見ることができませんでしたが、次回来る時はゆっくり見てみたいです。
人間国宝の作品も展示しているみたいだよ!
与一伝承館

那須与一に関する話や資料を見ることができます。
ぐぉぉぉぉ…あの有名な扇の話の時に身につけていた刀を見ることができただとぉぉぉ!?
こちらもですね、入館時間を過ぎていたので入れませんでした。
竹のギャラリーと同じくこちらも次回来る時は必ず寄らねばなりませんね。
売っているもの
とうがらし

駐車場ののぼりにもあったのですが、唐辛子が有名なようでたくさん売っていました。
調べてみると、大田原市は日本一のとうがらしの産地だそうです。
過去に一度、日本一の座を明け渡してしまったのですが、生産者さんたちと頑張ってまた日本一を取り戻したようですよ。
お土産として画像の『ありがとうがらし』を買って食べてみました。
とても爽やかでさっぱりした後味の唐辛子です。
辛いは辛いのですが、スッと辛味が引くので料理を邪魔しない美味しい唐辛子でした。
お蕎麦

手打ちそばも食べられるようです。
営業時間が14:00までだったので完全にアウトです。(16:30ぐらいに着いた)
栃木は蕎麦処なのか、いろんな場所でそば処を見ます。
せっかくだから薬味に唐辛子を使ってお蕎麦を味わいたかったな…
道の駅ガチャピンズ

またしてもノーマル!!
ガチャの前で一旦祈るというルーティーンができました。
道の駅ルートステッカー
取り扱いはありません。
駐車場
かなり広いです。



団体さんがいたようで、道路を挟んで向こう側にバスが何台か停まっていました。
近くにコンビニもありますし、長旅の休憩にはもってこいですね。
道の駅スタンプから紐解く『那須与一の郷』

スタンプの絵は那須与一ですね。
道の駅の名前の通り、この道の駅がある大田原市は那須与一が生まれ育った場所だと言われているそうです。
今回はスタンプを紐解くというよりも、那須与一についての考察だよ!
那須与一は本当にいたのか?
那須与一について調べてみたのですが、まず『与一』は名前ではないようです。
与一は『10余り1』という意味で11番目みたいなことみたいだよ
那須与一には10人の兄がいて、那須氏の11男でした。
本当の名前は『宗隆』というようですね。
那須氏の家督になってからは『資隆』と名乗ったとも言われいてるようです。
資隆は与一の父の名前です。襲名制度でもあったんでしょうか。
那須与一が活躍した時代は平安時代末期と言われています。
ただ、その頃の資料には那須与一に関する記述が今のところ見つからないようです。
ちょうど那須与一が戦いに参加した頃が書かれている吾妻鏡には那須与一の記述はないよ!空白の期間もあるからなんとも言えないけどね
治承・寿永の乱(那須与一が活躍した屋島の戦いもこの時)から宗尊親王が将軍を辞官するところまでを書いた歴史書
平家物語には那須与一の活躍が出てくるのですが、平家物語は史実をベースにした物語なのでそれだけで実在しているとは言いにくいのかなと思います。
生没不明なのもの気になるところ。
那須の家督になっているのであれば、没年ぐらいは分かりそうではある気がするのですが…
ただ、語り継がれているものがある以上、私は与一もしくは与一のモデルはいたのではないかなと考えています。
もしかして歴史から消そうとした?
与一が家督の時に頼朝の家人と対立して出家遁世したことと、与一が亡くなって兄の資之(之隆)が継いだが資之は平氏方にいたことを考えるともしかしたら歴史書から消された可能性もあるんじゃないかなと。
歴史書である吾妻鏡は源氏のことについて書かれていることが多いことを考えると、頼朝の管轄である那須氏の与一の兄9人が平氏についていることも問題だし、与一は世捨て人になるし、源氏についた与一の長男も最終的に刑に処されているし。
家督も資之のすぐ後には養子に迎えた宇都宮朝綱の子が家督となっています。
お取り潰しとまではいかないけど、系図を見ると宇都宮朝綱の子から与一の血筋である統一那須家の血は継がれていてない…気がする…
那須与一の資料が少なく、那須与一については想像の域を出ませんが、道の駅那須与一の郷は那須一族について思いを馳せることのできる場所ですね。
近くの道の駅
道の駅 ばとう
国道294号線を南に車で22分。
道の駅 那須野が原博物館
車で20分ぐらい。ライスラインから国道4号線へ。そこから県道259号線に入る。
道の駅 東山道伊王野
国道294号線を北に車で19分。
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