岩手県の国道45号線、海沿いを走っていると道の駅「のだ」が見えてきます。
なんというか、道の駅というよりはドライブインのようなスーパーのような不思議な感覚の道の駅の入り口でした。
道の駅 のだ
道の駅が交通の要となっていそうな場所です。
道の駅前にはバス停があり、なんと駅としても機能しています。
観光物産館「ぱあぷる」と道の駅のだの間に少しの通路があって、潜り抜けてみると「陸中野田」の駅が見えました。
もちろん、線路に入れないように柵があります。
管理人はこういう感じの駅を夏の晴れた日に見たいと思うんですが不思議ですね。懐かしさを感じます。
あ、ちなみに観光物産館「ぱあぷる」が最初で後に「道の駅のだ」として制定されたようですよ。
売ってるもの
塩。
海産物もあるのですがとにかく塩が多かったです。
なぜこんなに塩なのか。アイスも塩。
ルートステッカーは取り扱いがありません。
駐車場
駐車場は狭まく感じますが、調べたら35台は停めれるのですね…
行ってみた感じは一列に停めるような感じだったんですが…別の場所に停められるところがあったのかな。
国道を挟んで向かいは民家というか個人店っぽい建物が多いのと、バスターミナル、鉄道の駅であること、駐車場の広さを考えると、車中泊(仮眠)には向かない道の駅です。
野田塩ベコの道
さて、道の駅のだに車を停めると真っ先に見えるのが牛を引いた人の像です。
なんでこんなに塩を推してくるのか…調べてみたところ「塩無くして野田村無し」というような感じでした。
道の駅のある場所「野田村」
野田村には「男和佐羅比山・女和佐羅比山」という霊山があります。
「和佐羅比(ワサラビ)」とはアイヌ語で「大勢で浜に降りる道があるところ」という意味だそうだ。※縄文人の言葉という人もいるのだが、果たしてどっちがどうなんだろう…
とにかく、「大勢で浜に降りる道があるところ」
この山は野田村の交易交流の道でもあったようです。
この山を通って久慈市等に行き食料などを交換しに行ったのですね。
当時の野田村は偏西風の影響でお米を作りにくかったようです。なので、お米は他のところからもらう必要がありました。
そこで、考えた野田村の人々。
野田村は海水を汲んできやすく、砂鉄鉱山がたくさんあるから窯を作ることができる。
「そうだ、この作った窯で海水を煮詰めて塩を作ろう」
南部藩内の製塩量が不足していたので、野田村の塩はあっという間に名が知れたようです。
野田村の塩は重要な産業になりました。
そこで生まれた交易ルートのことを「野田塩ベコの道」というようです。
野田村の人々にとって野田塩ベコの道は生命線だったことが想像できます。
そういえばなんで山の名前がアイヌ語と言われているのだろう。アイヌの人たちは内陸から山を登ったのでしょうか。内陸から和羅佐比山を降りると海のある野田村にたどり着きます。
「アイヌの人たち」と書きましたが、多分アイヌの人たちも当時はこの辺りにいたと思います。
なんせ、野田村の「野田」はアイヌ語で「湿地・湿田」という意味の「ヌダ」が転化したものらしいので。
ちなみに、野田村を流れている安家川(アッカガワ)の「安家(アッカ)」はアイヌ語で「綺麗な水」という意味の「ワッカ」から来ているようですよ。
参考記事
道の駅近くのキャンプ場
玉川野営場
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kanuka/yamaold/wasarabi.htm近くの道の駅
道の駅 青の国ふだい
国道45号線を車で約20分南下すると道の駅「青の国ふだい」に着きます。
道の駅 くじ
国道45号線を車で約17分北上すると道の駅「くじ」に着きます。
道の駅のだ沿いの国道
国道45号線
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